人の人生は、1本の写真フィルムのように感じます


今は見ることがあまりないアナログフィルムの感じです


母親のおなかにいたころから始まって、1分に1枚として


1日60×24枚=1440 1年で52万5600枚 もうすぐ62才 かける62


3千258万7200枚、+胎内に10か月いたとして(432000)、


=3千301万9200枚   あれ?そんなもん?


いやいや、これだけあったら 何があったか探すのは至難の業


その時々に出逢った人との思い出や出来事をほとんど忘れてしまっている


のですから。主人と出逢ったのは、スタートしてから約345600枚の頃です。


ぜんたいの数から比べるといかに長い間、


主人という存在と共にこの世の時間を共有しているかって事を


思わざるを得ません。


そのなかで、出会いと別れがあり、ほとんどのひとがまだ生きていると思いますが


生れた時から私のアルバムのなかにいた、両親や祖父母はすでにいないのですが


私のフィルムの中にはたびたびでてくるのです


主人の妹で私より1つ下の妹が2年前に、亡くなったのですが


生前よりも私のフィルムの日には出演してきます

このフィルムはおもしろいのです



現実の世界にはもういないはずのひとが、普通に存在してくるのですから


夢とはまたちがうのです


フィルムの中で現れた時、今どこに住んでいるのかな?


と真面目に考えている自分がいます


住まいをどうしても思い出せなくて、しばらくモヤモヤしたりします


ある時、私の母が、なぜか私と一緒に孫のお遊戯会に一緒にいくという


(母からみたらひ孫にあたります)


誘いにいくという設定になっているのだけれど、


車で拾っていこうとするんだけど、さてどこに行けばいいのだろう、、、、、



いき道が思い出せない。いやその前に母は遠くの地に住んでいるし、、、



いやいや、母はもうこの世にいない、、、



亡くなった人が普通にともに何かの行事を行おうとする



私のアナログフィルム


亡くなった人だけではないのです



私のフィルムの中をわたしは遡ったりするのです


この現象のきっかけでもあった、3年前の暑い夏の日に


主人の20代のころに出逢っているのです






数か月前には2才の頃の息子いたのです


勿論、主人も息子もまだ元気に一緒に暮らしています



娘にこの話をしたら、他の人に話したら、病院に行けと


言われるだけだよ、というのです。


その通りですよね。


こんな話はありえないですよね。わかってもらおうとは思っていません


ただ私だけではないんじゃないかなとも思うのです、



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